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執筆者の写真川八

うなぎ専門店への道のり

先日いい伊豆見つけたがYouTube配信されて南伊豆町で唯一のうなぎ専門店と紹介していただいたので少しうなぎ専門店への道のりを書きたいと思います。


川八の創業は私が小学校5年生の時でした、引っ越してすぐに床上浸水の水害にあい前途多難なスタートでした。

その頃は家業を継ぐことも考えておらず考え始めたのは中学生の時で高校生になると決意を固め自分で調理師学校を探して三島で1年間基本を学び函南で3年間の修行を経て(修行はうなぎ料理ではなく洋食でした)実家に戻りうなぎ料理と天ぷらと刺身を覚えることになり、ここで初めてうなぎが苦手なことに気付き、改善を重ねているうちにうなぎの奥深さに惹かれて台湾産ホワイトうなぎというブランドうなぎに出会いうなぎの旨みに感動したのもつかのま採算が合わない?とのことで販売終了してしまいました。


以来、時季で国産、台湾、中国を使い分けるようになり問屋さんに任せて一番いい状態のものを仕入れるようにしてました。現在は千葉の問屋さんがメインでサブにもう1ヶ所と取引して2軒で仕入れてる形をとれせて頂いてます。


問屋さんの管理技術でかなりの差が出ると思います。良い悪いではなく相性ですかね、うなぎ店ごと好みがあると思うので川八は三河産との相性が一番なので現在は三河産が中心ですが産地には全くこだわってません相性のいいものを求めてます。


昭和から平成に変わるころをピークに地元の常連さんや別荘の常連さんが高齢になっていき徐々に売り上げも減りはらたいらさんが来店してた平成15年位になるとあと何年存続できるんだろう?まで落ちてました。その時にはらたいらさんにアドバイスをいただき、宣伝をしないとだめだよ!と言われエリートうなぎを使ってると表現の仕方まで教わりピンチの時はチャンスに成るものが隠れてるから色んな方向から見ればチャンスに成ると自身の経験談まで添えて教えてくれました。

そのはらたいらさんも足が遠のき、思い切って平成17年に店をリニューアルしてうなぎをメインにした地魚を使った天丼や海鮮丼の店としてスタートをしました。店舗も雰囲気をがらりと変え看板も目立つようにして一気に忙しい店になりましたが、うなぎに集中できなくてこのままでは今まで築き上げてきたものが崩れてしまうのではないかと不安になり、かといってうなぎだけ子供たちを育て上げることができるのかと思い平成25年までこのままで頑張ろうと決め、平成27年8月にNHKサラメシではらたいらが愛した伊豆のうな重で紹介され地魚をメニューから外し翌年には天丼も外してうなぎ一本で営業することに決めました。


そこからはプレッシャーも半端なかったですが喜びも感動も何十倍も味わうことができました、特に去年の4月から5月の連休明けまで休業して営業再開してから沢山の応援の言葉を頂きました。これには川八のうなぎを進化させ恩返ししていくしかないと思ってます。

進化のためには退化を恐れないことも必要で、日々チャレンジする姿勢は崩さないで行きたいです。


魚が嫌いなこと、うなぎが嫌いなこと、うなぎ専門店で修行をしてないこと、すべてマイナスでしかないんですけど成長させれば伸びしろはすごいあるんです。


この続きはその2で書きたいとおもいます。



試行錯誤を重ねたうなぎのかば焼き
試行錯誤を重ねたうなぎ蒲焼




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